先生って指導する立場ですから、
少なくとも学校では、知らない人に何か知識を伝える、ということが
主眼になっていますから、
教師という立場上、なんとなく学習者より偉い気分になったりすることもある。
小学校、中学校ぐらいは人生経験としても先生の方が長い感じもしますけど、
日本語学校となると、若い先生より年配の人生経験豊かな学習者ということも、結構あることです。
でも、宿題をやってこなかったり、何日か無断で休むと、上から目線で叱ってしまうこともある。
もちろん、威厳を保たないと「学級崩壊してしまう」という恐怖などから、威圧的にクラスをコントロールせざるをえないと思う先生がいるのもわかるし、その先生の気持ちもよくわかります。(これも大きなテーマで、簡単には片づけられません)
なので、ここでは、クラスで日本語を教えていたとして、
「先生、先生の話間違ってませんか」
「それって、先生のいう意味じゃなくて、、こういう意味じゃないんですか?」
「先生、その漢字違います」
「先生、AとBの違いが判りません。どうして、Bはだめですか?」
のように、つっこまれて、答えられなくて、威厳が保てない、どうしようというパニックになる。という場面に絞って考えてみます。
いろんな考えがあっていいと思います。今から私の考えを述べますが、これは単なる視点のひとつ、考えるヒントだと思ってください。
そういう突っ込みをいれてくるような生徒、学生は、もともと勉強して自信があったり、分析型でとことん追求するタイプだったりして、自分の意見を持っていることが多いです。。
ですから、素直に「〇〇さんはどう思うの?」と、聞き返します。
そこで、何か、素晴らしいことを行ってくれるかもしれません。
そうでなくても、対等な立場、水平な立場で、意見を出し合ったり、他の生徒さんからも意見を募ります。
で、どうしても、結論がでなければ、みんな、誰かに聞いてくる、という形にします。先生だけが調べてくるという形にしない、のが私は好きです。
いずれにしても、「先生が知らなければいけない」「知らないと威厳が保てない」という考えを捨てて、ともに考える仲間だと思うと、かなり楽に授業ができますよ。
ただし、初級のレベル(これは、初級のテキストで扱う内容)の場合は、すべて先生がきちんと説明できた方がよい。学習者も考えるには、まだ知識や経験不足で、きちんとした日本語で話し合うのも難しいので。
★まとめ★
日本語を教える場合、中級上級なら、学習者とともに考える姿勢で。無理に知識的に威厳を保つ必要はない。
初級の場合、それほど範囲は広くないので、学習者の質問や悩みには、できるだけ、正確にきちんと答えられる「威厳」がほしい。それが「信頼感」を生む。
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