「日本語教師をやっています」という言葉に対して、返ってくる反応のひとつに、
「じゃあ、英語、ペラペラなんですね」というのがあります。
「いやあ、英語、ダメですよ、日本語だけで日本語を教えるんです」というと、
「日本語で日本語、教えられるの?無理でしょ?」
という反応も割と一般的かな。
日本語指導に携わっている人にとっては当たり前かもしれませんが、
ふつうの人には、そんな程度の理解です。
もちろん、アメリカ合衆国で日本語を教える、つまりみんな英語母語話者で
先生も英語が話せれば、そちらの方が楽かも。
(★この辺りから感情がこみあげてきて、文体が変わったり、みだれたりしていますがご了承ください)
日本では、同じクラスに、英語が話せるひとだけじゃない。
だから、英語は使わない。
個人的に、特にまずいな、と思うのは、クラスの大半の人が、母国で英語を習っているだろうと
いう気分で、さらっと、英訳したりすることです。
ひとりでも、英語が苦手で本当に嫌いで、っていう学習者がいたら、その人はどう思うでしょうか。
だから、英語は使わない。
本当のことをいうと、「漢字」にも、似たようなところがあって、
日本語には、漢字があるから、使っていいだろう、と言われればそれまでなんだけど、
口で発音して、ひらがなで書いて、その意味がわからないときに
漢字を板書して、理解させようという作戦は、漢字を使っている国の人(漢字圏の学習者)には有効だろうけど、
これも、漢字がまったくの未知の国の人(非漢字圏の学習者)にとっては、特に初級のクラスでは、
先生の指導と漢字圏の学習者だけが納得する雰囲気に寂しい思いをするかもしれない。
初級なら、口頭の発音とひらがな、かたかな、だけで、意味を理解させることが大切。
その後で、その時の漢字はこれだよ、と書くのであれば、
非漢字圏学習者も、漢字の形に集中できるし、いい時間になる可能性が大きい。
たとえば、「集中豪雨」という言葉を説明するのに、この4文字を書いただけで、
漢字圏学習者は意味を理解、後は先生の「シューチューゴーウ」と音と一致させればよい。
(★「しゅうちゅうごうう」の表記はまた別の機会に)
集中豪雨
だけど、非漢字圏の学習者は、漢字圏の人のような納得感がない。そして、「ああ、先生、また漢字でごまかして」というような気分になる。
でも、ここで、「雨」のイラストを出して、その後、すごい雨のイラストとか、先生がホワイトボードに雨の線を何十回も書きながら、音も真似して、激しい雨のイメージをつかませて 「豪雨」と言ったらどうだろう。
一番いいのは、バラバラ雨、雨、豪雨のイラスト3枚出して、(ぱらぱらとか口でも言う必要はない)
3つをまるで囲んで、「あめ」
そして、豪雨のイラストだけ、やじるしで示して「ごうう(ゴーウ)」
すると、漢字を出さなくても「ごうう」の意味がわかるのではないだろうか。
この時点で「豪雨」という漢字を出せば、非漢字圏も「豪」の字に、何か意味を読み取り興味を持つだろう。
(単何時として教えるかは別の話)
そして、 どこかの地図を出し、ここは晴れです。ここはくもりです。ここだけ雨です。雨です。といって、
先ほどの豪雨のイラストと関連させながら、ピンポイントの場所だけに雨が降る様子を示し、
「しゅうちゅう」「しゅうちゅう」「しゅうちゅうごうう」という流れで伝えていく。
対比の技術を使うなら、
広範囲に豪雨の様子を示して「ごうう」
ピンポイントの様子を示して「しゅうちゅうごうう」でも 理解が容易になるだろう。
あくまで、指導の一例だが、
非漢字圏が「しゅうちゅうごうう」やその熟語内での「しゅうちゅう」や「ごうう」の意味を
理解できた後で、
「集中」「豪雨」という漢字を伝えると、漢字圏、非漢字圏ともに満足度が上がると考える。
漢字圏の人をさらに満足させるなら、
口頭、もしくはひらがな、で伝えた「シューチューゴーウ」の感じを想像させて
板書させてみるのもある。
直接法について、いろいろ語る始めは、「英語」に頼らない、「漢字」に頼らない、ということだったのだが、
多少なりとも、それらに頼らず「集中豪雨」を伝えるイメージができたら、うれしい。
というか、はい、うれしいです。読んでくださってありがとうごさいました。
最近のコメント