わことの想い1

こんな写真アップも結構自己受容のための行動です。

 

プロフィールを読んでいただいた方もいると思いますが、私は耳に障害があって、それが大きなコンプレックスとして人生の中で常にありました。

少しずつ、それを乗り越えてきた今、その経験と対人支援の学びなど、すべての力を使って、コンプレックスを持っている人にすこしでも役に立てればと思っています。

本音を言えば、ともかく、誰かが、何か、感じてくれて、人生が動き出すきっかけがつくれたら、最高だ!ってことです。

 

今回のテーマは自己受容て何?という話です。

「まずは、自分を愛しなさい」って、そんな話を耳にしたこと、ありませんか?

 

で、私の話を少しします。

私は、若いころから、本当に幸せになりたくて、そんなことが書いてある本をよく読んでいました。で、でてくるフレーズが、「自分を愛しなさい」。

私の気持ちは、「無理」「だって、嫌いだから」

障害はあるし、それでいじめにあったりしてきて、どうして、自分が好きになれる?という気持ちでした。

それで、ずっと、右耳が聞こえないということを隠してきました。長髪にして、形も隠してきました。

ずっと、ずっと、コンプレックスです。

横並びで友達と座るとき、右側に座られたら、小さい声だったら、ほとんど聞き取れない。実際に、何度も呼びかけられて、答えられなかったり、何か質問されているのに、何度も「なに?」って聞き返して、「もう、いい」ってあきれられたり。それでも、そんなことが何回あっても、「実は聞こえないんだ」とは言えませんでした。

始めて、人に話したのは、20代後半です(ちなみに、兄弟にも秘密にしていました)。

海でするスポーツをやっていて、先輩と協力してやるのですが、風と波がきついとき(危険が増すとき)に、波風の音がきつくなり、先輩が右側に立つと、もう何も聞こえない。それで、だいぶ、怒られたし、実際失敗も多かったです。

それで、本当に本当に勇気を振り絞って、どれだけ馬鹿にされるかわからないし、もう対等な人とは扱ってくれないかもしれないと思いながら、(おおげさじゃありません、コンプレックスがある人ってみんな、こんな気持ちだと思います)先輩に言いました。右耳が聞こえないから、もっと大きな声で支持してほしいと。

今でも覚えてますけど、先輩はただ一言「そうなん?」。それで終わりです。

え、何?今、何が起こったの?俺、強烈なこと、話したんだけど??

周りの立場と本人の立場はだいぶ違うようです。

それが、きっかけになって、少しずつ、様子をみては、「聞こえない」といえるようになりました。

もう、友だちとカフェで座るときに、ドキドキしたりすることもありません。

「こっち、聞こえないんで、こっち側すわるよ」。それだけです。

 

今、思うとなんで、そんな悩んでたんだろうって思うけど、若いころの絶望的な苦しみはリアルなものでした。

 

そして、今、いいたいことは、「自己受容」、自分を認めるって、

「人につたえたり」などのなんらかの行動が伴っているということ。

いくら、口で、もう自分を受け入れた、といってても、何か違う。

行動の形で、進んでこそ、「自分を受け入れた」といえるのでは、と

自分の体験を通して、思います。

だから、だから、そうした自己受容のための行動を起こす、ちいさなちいさな行動を起こす、小さな小さなきっかけになる小さな小さなヒントをこのブログやお話会などで、伝えていきたい。それがわことの想いです。