なんのために「先生」になったんだろう?

「先生としてのゴール」という記事を書きました。

でも、普段の「学校、スクールの先生」は、つい 目の前の事務仕事や学生指導に目を奪われて、先生の仕事が嫌になることありませんか?

いいと思うんですよ。事務の仕事、黙々とやるのが苦手な人は、気分が落ちる。

わかりやすく教える技術を高めることに情熱を持っている人は、素行不良(そもそも、問題行動をどうとらえるか、という大きなテーマが、ブログなどでお伝えする大きなテーマのひとつですが、それは別のこととしておいておくとして)の学生の指導をするのが、苦手かもしれません。

逆に生徒指導や進路指導などに情熱を燃やす先生は、時間をそれにとられて、授業の準備を夜中から朝方まであって、体力的にふらふらになってしまうかもしれません。

私も雑務に追われて、なんでこんなことしなきゃいけないんだろうとか思うこともあります。ああ、もうこれだけはしたくないという事務仕事もあるのですが、生々しいので書きません。興味ある方は直接お問い合わせなどで聞いてください。

そんな気分のとき、一度、なんのために「先生」になったんだっけ?

て思い返したらどうでしょうか?

先生としてのゴールです。

別の記事で書いたような、理想論じゃなくてもいいけど、「先生」になる、って決めた瞬間のこととか、思い出せますか?

もし、その時のこと、ほんとうのゴールが見えたら、

そのための努力として、今のこの落ちた気分が生きてくるとしたら、

何かちょっと、気分が変わるかもしれません。

魔法のようにすべてが変わるということではなく、

少しでも、先生として、生き生きするヒントになればいいですね。

 

私自身、自分が先生として、教室でスポットライトを浴びたいから、

という「自己中心的な」ゴールと

 

生徒さんたちが自分を踏み台にして
成長して、社会の中で輝く     という「先生的な」ゴール

を行ったり、来たりしながら、

苦手な作業も、こなして、やってきたな、と思います。

 

何か躓いたとき、

ゴール思い出しても、現実がすぐ変わらないかもしれないけど、

ゴール、「先生になりたかった思い」を思い出すだけで、

何か やり方 考え方が
ちょっと変わって 現実に影響を与えてくれるかもしれませんよ。