日本語の教え方常識非常識?1学習者に助詞がわからないっていわれたら1

日本語の先生や、ちょっと教えたい人に考えてもらえるようなことを書く回です。

正解があるわけではありません。ただ、そんな見方もあるんだ、ということで、視点の幅を

広げてもらうことを目指しています。

学習者が助詞がわからないっていう、だから、助詞をともかく一生懸命教える、っていうのって、

いいのか?わるいのか? 何か考えるべきことはあるのか?

です。

 

日本語を学ぶ理由は様々です。その中で、生活者は、コミュニケーションのための日本語が必要ですよね。

その最初が、単語を並べることだったり、ジェスチャーをつかったり。サバイバルですね。

そのうち、ちょっとずつコミュニケーションができるようになってきます。

わたし、ラーメン、たべた。  あした、カレー、たべる。 あした、大阪、行きます。友達会います。

とか。

 

で、この時点で助詞が抜けていることが多い。

でも、通じている。

これが、ボランティア教室とかきて、先生に文法を教わった後、小さな練習問題で

私はタクシー( )ともだち( )かまくら( )行きました。という問題を解かされる。

で、このくらいなら、できるのかもしれないけど、もし、間違えたりすると、「ああ、助詞、難しいね」と苦手意識ができる。人によっては、勉強は、助詞だ、とそれを一生懸命勉強したくなる。

これって、先生が作り出しているのかもしれない。

もし、先生が通じることを優先して、(助詞よりも語彙を増やして、楽しく会話の先生など)

授業をしていたら、「助詞がわからない」と嘆く代わりに「日本語たのしいね」と言っているかも。

 

今回いいたいことは、「助詞を教えるな」ということでは、もちろん、ありません。

 

でも、もしかしたら、生活者などに、特に初級前半を教えるときに、優先順位的に他のことをやった方が、はやくコミュニケーションがとれて、楽しく生活できる、ってことがあるかもしれないこと。

テストで、日常のコミュニケーションでは、使っていない助詞のテストをされて、落ち込ませているかもしれないこと。(先生側に原因があるのかも、って話)

 

など、考えてもらいたいです。