自分の中のブレーキ2

何かやりたいとき、「怖い、やめろ」というブレーキがなければ、どんだけいいだろう、と思っていたという話を前回しました。

でも、別の視点も話しました。アドラー心理学の全体論です。

アクセルもブレーキの自分という全体の中の一部で、自分のために働いてくれるんだ、という考え。

それを、人のようにみると、「たのしいよ、やろうよ」という友人アクセルがいる一方で、

「こわいよ、危ないよ、傷つくかもしれないよ」という友人ブレーキがいる。

で、もともと、友人ブレーキをを切り捨てたいとか、というのもあったんだけど、

全体論で考えると、

友人ブレーキもそもそも、同じ自分の中にいて、自分のことを思ってくれている仲間だ、ということ。

その視点でみると、 何か違ってみえるかもしれない、ということです。

(イメージでいうと)

私、アクセルさん、ブレーキさんの3人で、話し合って、一番、いい方法を見つけられたら、最高ですよね。

すくなくとも、「ブレーキさんさえいなければ、アクセルさんと一緒に行けたのに」と言っている間は、

自分の中のビビる部分、ブレーキさんを、嫌っている、ということで、

それはつまり、自分が好きになれないということ。これはつらい。

 

カウンセリングなどで、よく自己受容とかいいますけど、自分が好きになる、っていうことの一つには

自分の中のブレーキの話を聞いて、理解して、受け止める、ってことじゃないかな、という気もします。

 

まずは、一度、ブレーキさんの言い分をじっくり聞いてあげる。だって、自分なんだから。