何かやりたいとき、「怖い、やめろ」というブレーキがなければ、どんだけいいだろう、と思っていたという話を前回しました。
でも、別の視点も話しました。アドラー心理学の全体論です。
アクセルもブレーキの自分という全体の中の一部で、自分のために働いてくれるんだ、という考え。
それを、人のようにみると、「たのしいよ、やろうよ」という友人アクセルがいる一方で、
「こわいよ、危ないよ、傷つくかもしれないよ」という友人ブレーキがいる。
で、もともと、友人ブレーキをを切り捨てたいとか、というのもあったんだけど、
全体論で考えると、
友人ブレーキもそもそも、同じ自分の中にいて、自分のことを思ってくれている仲間だ、ということ。
その視点でみると、 何か違ってみえるかもしれない、ということです。
(イメージでいうと)
私、アクセルさん、ブレーキさんの3人で、話し合って、一番、いい方法を見つけられたら、最高ですよね。
すくなくとも、「ブレーキさんさえいなければ、アクセルさんと一緒に行けたのに」と言っている間は、
自分の中のビビる部分、ブレーキさんを、嫌っている、ということで、
それはつまり、自分が好きになれないということ。これはつらい。
カウンセリングなどで、よく自己受容とかいいますけど、自分が好きになる、っていうことの一つには
自分の中のブレーキの話を聞いて、理解して、受け止める、ってことじゃないかな、という気もします。
まずは、一度、ブレーキさんの言い分をじっくり聞いてあげる。だって、自分なんだから。
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