自分の中のブレーキをどう扱うか。
というテーマです。考え方の視点の話で、私自身、まだ解決はしていませんので、ご了承を。
何かに挑戦したい、でも、怖くてできない。
その挑戦したいが、アクセル。怖くてできないというストップをかけるのが、ブレーキです。
これ、本当に人によりけりで、挑戦することがわくわくして仕方がない、という人はあまり、ブレーキを感じません。
でも、感じる人はすごく感じます。
私も、アクセル全開なのに、ブレーキをすごく踏んでて、
動きたい、動けない、という状態で過ごした時期が多かったです。
ベイビーステップというところで、0→1が一番大変だ、というところで、
ボクシングやりたいけど、怖くてボクシングジムに電話もできない、直接見学もいけないという話をしました。
私個人でいうと、中学か高校のときに、空手がはやってまして、ああ、やりたいな、と思ったんですけど、怖くて道場に見学に行けませんでした。で、どうしたか、というと、通信講座。本当にヨシモトみたいなオチですけど、それで、本当に強くなれるとおもったんですよね。まあ、無理でした。
告白、なんていうのも、ブレーキがかかりやすいですよね。「すきだ」と伝えたい、でも、伝えて断られるのが、怖い。
から、結局、同窓会で20年ぶりにあったときに、お互いおっさん、おばさんになった後、酔っ払いついてに、告白してみたら、「私も好きだったのに」とかね。(フィクションですよ)
で、ずっとあったのが、ブレーキがなかったら、どんだけ、幸せになれるんだろ、ってことです。
では、今だったら、どうすればいいのか?
心のブレーキの外し方、なんて本もあるぐらいだから、いろいろ技法はあるんでしょうね。
私の行ったアドラー系のコーチングスクールでは、全体論という話をしています。
そこでは、もう一人の自分の言い分をじっくりきこう。
そもそも、自分のためを思って、いってくれてるんじゃないのか?
ということです。
アクセルの肩ばかり持つけど、 ブレーキがなかったら、運転できる?とも言ってました。
最初にも書きましたが、まだ100%わかった、という状態ではないのですが、
皆さんのお役に立てば、と思って書きました。
★心のブレーキに対する別の視点
自分の中に葛藤があるとき、自分が嫌だ、と思っている方の気持ちを悪者にせず、考えていくこともできるのでは?という提案です。
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