外国人に日本語をおしえてみよう!教えるヒント「区切る」

【日本語を外国人に教えてみよう】

外国人に日本語を教えるのって、難しいと思いますか?

英語がペラペラな人は、「英語使って教えればいいじゃん」って思うかもしれません。

語学が苦手な人は、「無理無理、教えられない」と思うかもしれません。

コミュニケーションの得意な人は「ジェスチャーとか絵とかがあれば、なんとかなるんじゃない?」と思うかもしれませんね。

このブログ全体では、「言葉を通して、言葉を超えて、人と人がつながる!」ことを目指しているんですが、このパートでは、英語があまり得意じゃない方も含めて、簡単な日本語を「かんたんに」教えられるように、そのヒントをつづっていきたいと思います。

教科書じゃないので、気軽に読んでみてください。

今回のテーマは、「区切る」です。

皆さんも、初めて聞いた外国語は状況から意味が想像できても、どれが何を指しているかわかりませんよね。

ご存知の方も多いと思いますけど、韓国語の「カムサハムニダ」って、「ありがとう」という意味ですよね。わたしも丸暗記してました。でも、ある時、「カムサ」が感謝、「ハムニダ」が「します」のような意味に分かれてるって知ったんです。

「ウォー」という感じでした。だったら、他の動詞を覚えたら、それに「ハムニダ」をつければいいのかも、って思ったんです。もううろ覚えですから、真剣に勉強する方は、そういう本をみてもらうことにして、「感動」は「カムドン」だと知ったとしますよね。そしたら、「カムドンハムニダ」といえば、「感動します」という意味になるわけです。つまり、「カムサハムニダ」を塊で教えるのではなく、切れ目があると教えること、小さい塊ごとに意味を伝えてあげるとわかることもある、ということです。

 

別の例をだしますね。タイ語です。

例えば、先生が鉛筆をもって、指さしして「アンニーペンディンソー」といっても、「これはペンです」という意味だとは想像できても、どれがどれだか、考えるのは、難しいわけです。

でも、もし、最初に鉛筆を指さして、「ディンソー」、本を指して「ナンス―」、ペンをさして「パーカー」といわれると、「たぶん、鉛筆という単語がディンソーなんだな、って想像できます。その後、「アンニーペンディンソー」といわれたら少なくとも、「ディンソー」部分が、鉛筆だとわかります。

次に 鉛筆が先生の手元にあり、もう一本が遠くの机の上にあったとします。そして、先生が手元の鉛筆を指して「アンニ―」といい、遠くの鉛筆をさして、「アンノーン」といいました。もう、鉛筆はディンソーってわかっているし、どちらも鉛筆ですから、「アンニ―」「アンノーン」は、鉛筆という意味ではない。すると、なんとなく、「これ」「あれ」ぐらいの意味かな?と想像がつきます。

それで、最後に先生が手元の鉛筆さして、「アンニ―ペンディンソー」というと、なんとなくでも、「あんにー(これ)」「ペン」「ディンソー(鉛筆)」という文なのかな?と想像がつくわけです。

はじめに言ったように、いきなり鉛筆を指さして、「アンニ―ペンディンソー」では何がなんだか、わかりません。頑張っても、「ペン」っていってるから、それが鉛筆かな、ディンソーが「です」?かな、ぐらいの想像になり、迷宮に入ります。

ということで、今日のポイントは、「区切る」=「いきなり文で教えない」ということです。

 

日本語でちょっとだけ、みてみましょう。

タイ語と同じ状況で、「これは鉛筆です」と話しても、意味は理解できても(もちろん、鉛筆も持たずに、発言しても、聞いている人は???なので、状況も大切ですよ)、文法的な理解に行きつきません。

幼児のように繰り返し状況を見ながら、繰り返し繰り返し聞いている場合は、区切ったりしなくても、いつの間にかわかってしまうのでしょうが、語学を学ぶ人によっては、ほとんどその言語に触れる機会がない人もいるわけですから、区切ってあげるほうがわかりやすいと思います。

やはり「鉛筆」「鉛筆」といって鉛筆を指し、「本」「本」といって、本をさし、単語からりかいさせたらどうでしょう? その後も「これは鉛筆です」に行かず、「鉛筆です」と「本です」という句に広げて、少しずつ、理解をさせていきたいですね。

カフェで教える時は、スプーン、とかカップとか使うと語彙としても想像しやすいし、楽だと思います。

どうでしたか? 次回は、「です」について取り上げたいと思います。